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  平成の崑崙(こんろん)人 鈴木稔さん

綿をこよなく愛し、自らを「平成の崑崙人」と呼ぶ、棉の栽培に関しての権威。棉について語らせれば、右に出るものはいない。崑崙人とは、日本に最初に棉の栽培を伝えたと「日本後記」にも記されており、現在のインド人と言われている。
※日本後記では、三河の天竺村(てんじくむら)に崑崙人が漂着し、棉の種とその栽培方法が伝えられたとされています。
 棉 と の 関 わ り
昭和21〜23年: 終戦後、食料とともに衣類も少なく、綿が必要という時代に、棉栽培を行う。
昭和46〜現在 : 昭和46年は、暦上60年に1度の辛亥(かのとい)の年に当たり、昔からの言い伝えによりお年寄リに紫のふとんを贈って、長生きしていただこうという、親孝行心をさそったもので日本で唯一の棉神様を祀る「棉祖神 天竹神社(てんじくじんじゃ)」の延命長寿のお札を求めて、全国から多くの人々が訪れた。当時、神社のお役であった鈴木さんは、多くの方に買っていただいたお礼に、棉栽培について本格的に取り組もうと考え、今日に至っている。
 棉 に か け る 想 い
  昔は、全国で棉の栽培が行われていたのは事実。日本で1箇所しかない棉の伝来地区に生きる者として、古くからこの三河の地だけに伝わる地棉(三河種)を守り続けていかなければならない。
「恋」という字は、もともと「戀」という字からできあがった。この「戀」という字を見るに、「恋」とは、気を抜くとすぐに切れてしまう糸を、慎重に慎重につないでいくような心ということを先人たちが表したのではないかと話している。
※昔は、糸を手で紡いでいました。集中して紡がないと、すぐに切れてしまうものでした。